供養のこころ

人はそれぞれ
いろいろな出会いがあり、そして別れがあります。

いくつかの節目の中で
その時々を彩る想い出深い方々の『法要』を営むことは
飛騨の人々にとっては、今でも大変重要な部分に位置づけております。

土曜日曜は、法要を営まれる方が多く
ご自宅やお寺でお経を上げられ、その後
当館などで
“お斎(とき)”の宴を催されたりします。

祭壇や仏壇に飾る供物(くもつ)は
故人や仏様に捧げるものなのに
どうして?こちら側を向いているのかと、疑問に思われたことはないでしょうか。

「神」や「仏」に捧げること自体が
即ち、自分に捧げることである、という供養の気持ちの表れで
共に尊び、共に喜ぶことを意味しているようです。

洋服や着物を着るとき、美しい方を外側に向けて着る、身だしなみというのは
自分自身のためばかりでなく、見る人の心を和ませてくれることでもあるように。。。

捧げる花も同じく
対象に対して「安らか」であらんことを望むとともに
眺める私たちを穏やかな気分に誘ってくれるものなのですね。

そんなことを思いながら、普段なかなか座らない仏壇に
今日は手を合わせてみます。

2 Comments

  1. まりこくらぶ

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    本当にりかちゃん☆☆☆さんは30代でいらっしゃるのかしらと思うほど、たびたび考え深いブログの内容ですね・・。本当に同じくらいの年代の方とは思えない・・。ブログを書いていらっしゃる方に尊敬の念を抱くのはこれまた初めてです。

  2. りかちゃん☆☆☆

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    「尊敬の念」などと もったいないお言葉に恐縮しております。30代も半ばを過ぎ 結婚生活も10年目にはいると 時々いろんなことを思うものなのです。

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